「青玉案 元夕」 (宋詞)
作者:辛棄疾
東風夜放花千樹 、更吹落 、星如雨。
宝馬雕車香満路。
鳳簫声動、玉壷光転、一夜魚龍舞
蛾児雪柳黄金縷、笑語盈盈暗香去。
衆裏尋他千百度、驀然迴首、
那人却在 燈火闌珊処。
詩訳:
春風が吹く夜に、花のような燈籠がいくつか
風に吹かれる燈籠はまるで星が降るようで
美しい馬 紋刻な車 道いっぱいの匀い
笛の音色が響くと
玉でできた燈籠に光がうつり
夜通しの大度芸、髪飾りと金色の糸
笑い声が満ち溢れ、どこからか香りが漂っては消える
人ごみのなか、何度も何度も探し回った
ふと振り返ると思いがけずも、
あの人はいた消えそうな薄明かりのともし灯のそばにいる。
辛棄疾は南宋時代の詞人。
この詞は元は「元宵節」の賑やかな街中を描写しながら、気になるの人が人込み
を離 れて 一人寂しく佇む情景を描き出している。おそらく詞人の当時の気持ちを
誰に 表 して いるのだろう?!
最後の3句が圧巻的な深い意味であり;哲学な言葉が目立つって散りばめられよ
う に成ります。
佛教的で見るとこの世は無常であるが偶然でもあり、意外になめらかな言葉で悟り
より、いつの間にか快い気分になっています。
この詞「青玉案・ 元夕」を読むとき澄静さする心地での歌が生まれているよう
人間味に感動させます、、、、。
昔日画作
星期天、鎮日的雨。
従‘千川上水’一路走回来、雨已停息。
翻箱找出昔日的舊作、解開箱上的縄索;層層包裹的棉紙
打開、彷彿也将一段記憶展開、、、。
在這多雨的季節、除了水気、有的是游移的思緒、従四周
攏靠而来、従八方裏扭出一些的‘曾経‘;除了麈埃是直直
地落了下来。
這些画作、従搬運回来至今、似乎没被打開過、経過二次的遷移、
似乎没被遺失或丟棄。上面仍貼著画展的小標示、説明了
時間従94年到99年、不同年代裏、相同的素材、類似的画風
不甚成熟的筆触、、、而2000年後、卻找不到任何的珠絲馬跡、
打開一幅幅鮮麗的色澤、描述各時期不同的風景裏、又透露
著些黯然的情緒、未将之展開、也就姑息放置角落裏、一放
竟已十年!
對於舊作的去留、和詩不同的是;当我們用眼、用心去體会
一件事、所呈現出心霊的感受、一種可以文字的写記、一種
透過相機的光影、角度投映、按図索驥;而画、卻是感官體会、
用色彩咀嚼其況味、、、。
或許、無法保留以及回顧早期的‘青澀’詩句;但無法割捨
這些不甚完全、而又難以棄置的‘画記’。
那個時代
我有一個「北海道」出身的老師、
圓盤似的臉 白裏透紅;不断
蕩漾著波紋似的熱情 、帯動了周
遭的情緒、而其像徴性的開朗的
笑声、直是一個不折不扣的`青森蘋果' !
在霞之関念書的時代、感受到有生以来少有的讀書的楽趣;可以
在霞之関念書的時代、感受到有生以来少有的讀書的楽趣;可以
随心所意地找自己興趣的科目、不必担心交不出的宿題和可能
卒不了業的恐懼、、。
常常肆無躭記地在課堂上素描‘先生的輪廓’、或在底下、
一辺拼命的写著無病呻吟的‘詩’ 。有時、為了提高上課
的情緒、她總是随身携帶不同的道具、 像親自手工
的‘魔鬼蛋糕’、和拿来作比方用的各種‘紙鶴’ 、、;
惹得一堂師生、満堂歡楽;而這堂過上的就是~
人際関係。
而我們竟是這麼‘大’的孩子了!
一種曾未有的教学方式、 也譲我們有了重新認識的新鮮、
経験和感激。
離校園不遠的日比谷公園、従図書館裏明亮澈静的落
離校園不遠的日比谷公園、従図書館裏明亮澈静的落
地窓 打量出去、可以望見隣近的上班族、利用午休的
時間 、流淌在草坪上、享受日光浴以及冷敷的松影下
暫潛鬆弛的都市森林 。
毎一年、公園裏的母鴨領著小鴨越過馬路 的新聞、都
在記憶裏清楚的提醒、、。
到了初冬、鴨子会列著長長的隊伍,到池塘叧一辺過冬;
到了初冬、鴨子会列著長長的隊伍,到池塘叧一辺過冬;
而春天来臨、又横過馬路 、回到池塘。而曾幾何時這温
馨的新聞早已被許多人遺忘、時間漸被層出的社会檔案
所盤據。
那様悠閑的平和、一則成人世界裏的‘童話’故事
一直叫懷念;那種平淡日子、一則不足為奇而又難以
追尋的‘奇跡’、、、。
七里香、早謝了
這一天的早晨、醒来
太陽就躱在雲後
吹著有点感傷的風
空気是帯著潮湿的水分
毎天走過的牆垣 那攀岩附会的緑
是夏天将要的換季
七里香與芍薬也都在這裏遇上転角的言語
三言両語以及開朗的襯葉
全然不知下一場風雨的来臨
為著多変的天気 添了些許徴兆的意義
雨已停了 昨日的山崩阻断了部分的行旅
一些淹没在土裏的房舍以及人群
都成為一種無以名状的記憶
風帯著低調的楽音
七里香已謝了
那花芬是否依舊漫延到初夏!?
午後的時間
約莫十年前、為了一劇台、法共同製作的戯、
得以在東京上演、 和幾位劇場人切磋後、
選択了剛落成的‘世田谷公共劇場‘而與
当時方興未艾的‘東京藝術祭’正好有些牽連、、、。
於是和公共劇場的企画總監約了会晤、地点就在
世田谷的‘三軒茶屋‘ 。因為初訪、地縁生疏、我比
約定的時間早了一個多小時、到達目的地、 心想、
可以有点時間四處走看一下、或找個 ‘喫茶店’坐
下来整理資料、 或者発呆、、、然而、有些意外 的是、
這個文藝気息濃厚的‘三軒茶屋‘並没有想像中 、那
麼多的‘茶屋’、倒是書店、花舖,設計別出的小店、散佈
其間;與一般 人気的‘町街’感覚並無太大的差異。
就在尋覓之中、走進一條静謐的小径、清一色木造的房屋、
只有一両棟稍 高的現代公寓矗立其間、楼層的一階部分、
被花草掩覆的十分完全、像是 花園別苑。
入口的玄関進去、才発現有一看板写著‘Cafe Rose’、原来
是 一家英式咖啡館。館主自英國引進各種的薔薇、植満了房
館的四周、只譲出 一條走道、可以譲客人慢慢鑑賞、緩緩地進出。
除了室内、許多客人選択了戸外露天的白色椅座、和花草相映成趣!
稍稍望去、卻是清一色‘女性客’、戴著陽帽;三三両両坐成一桌、
安適 優雅地閑話家常、彷彿十八世紀裏画家筆下的‘日和風景’。
時間是午後的3点左右、這些女客人或者主婦們的先生、可能還在
会社裏 埋首、努力地工作、、、。
而這些上班族的先生下了班、通常也順道在某個地方的‘居酒屋’
先小 酌一杯、抒解白日的圧力後、才慢慢地回家。只要不是酔薫薫
倒在月台上 。第二天、仍可以若無其事地扮演‘主夫’的角色、継続
努力地工作、維持基 本的生活要素以及和平的幸福。
這様的時代、這様的環境、形成一種各自排解圧力的生活方式、、、
看起来、也似乎是一種另類的平等!
得以在東京上演、 和幾位劇場人切磋後、
選択了剛落成的‘世田谷公共劇場‘而與
当時方興未艾的‘東京藝術祭’正好有些牽連、、、。
於是和公共劇場的企画總監約了会晤、地点就在
世田谷的‘三軒茶屋‘ 。因為初訪、地縁生疏、我比
約定的時間早了一個多小時、到達目的地、 心想、
可以有点時間四處走看一下、或找個 ‘喫茶店’坐
下来整理資料、 或者発呆、、、然而、有些意外 的是、
這個文藝気息濃厚的‘三軒茶屋‘並没有想像中 、那
麼多的‘茶屋’、倒是書店、花舖,設計別出的小店、散佈
其間;與一般 人気的‘町街’感覚並無太大的差異。
就在尋覓之中、走進一條静謐的小径、清一色木造的房屋、
只有一両棟稍 高的現代公寓矗立其間、楼層的一階部分、
被花草掩覆的十分完全、像是 花園別苑。
入口的玄関進去、才発現有一看板写著‘Cafe Rose’、原来
是 一家英式咖啡館。館主自英國引進各種的薔薇、植満了房
館的四周、只譲出 一條走道、可以譲客人慢慢鑑賞、緩緩地進出。
除了室内、許多客人選択了戸外露天的白色椅座、和花草相映成趣!
稍稍望去、卻是清一色‘女性客’、戴著陽帽;三三両両坐成一桌、
安適 優雅地閑話家常、彷彿十八世紀裏画家筆下的‘日和風景’。
時間是午後的3点左右、這些女客人或者主婦們的先生、可能還在
会社裏 埋首、努力地工作、、、。
而這些上班族的先生下了班、通常也順道在某個地方的‘居酒屋’
先小 酌一杯、抒解白日的圧力後、才慢慢地回家。只要不是酔薫薫
倒在月台上 。第二天、仍可以若無其事地扮演‘主夫’的角色、継続
努力地工作、維持基 本的生活要素以及和平的幸福。
這様的時代、這様的環境、形成一種各自排解圧力的生活方式、、、
看起来、也似乎是一種另類的平等!
入梅
六月的雨
早早地走近湖辺
緑色與青色的舞鞋
在那裏踢踏著雙人的歩履
雨 一直下個不停
鎮日裏、響著太陽與軽叩的門鈴
如果天晴
郵差一定会送来入夏的訊息
那災難後、人們潮濕的眼睛
可以乾燥的毛巾 扭去過多的水分
舖晒在六月的岸上
有一点点憂鬱、一点点放晴的
梅雨季、、、。
早早地走近湖辺
緑色與青色的舞鞋
在那裏踢踏著雙人的歩履
雨 一直下個不停
鎮日裏、響著太陽與軽叩的門鈴
如果天晴
郵差一定会送来入夏的訊息
那災難後、人們潮濕的眼睛
可以乾燥的毛巾 扭去過多的水分
舖晒在六月的岸上
有一点点憂鬱、一点点放晴的
梅雨季、、、。
古詩(道院)
禅について
古来佛宗は同じく単伝直指の旨だが後信はそれを知らず禅宗と呼んでいる。
禅は単なる外形的なものでなく要は単伝直指の道を求めるにある。
禅とは、佛教の根本である、佛道修行の基本である。
禅宗はインドの「達摩」様によって中国に伝来し、特異な発達をして、多くの名
僧を輩出し「五家七宗」へ発達した。
禅宗の特徴は概ね、「直指人心・見性成佛」「即心即佛」「非心非佛」
故に「自分の本性、即ち、本来の心、佛の心」と観る。
達摩大師の面壁九年の禅行は尚も磨きを掛け、純熟の道を後世に挙揚せと
するが為にある。
神光様、道号を慧可様を称し道を僧璨様に伝え、僧璨様から道信様、
道信様 から弘忍様、弘忍様から慧能様に伝わる。
慧能六代祖は文字を知らぬが智恵は本も聡明であった。
弘忍五祖が或る日弟子門人を集め~
「世人生死の事程重大なるはない、汝等の終日を見るに只目
前と来世の福だけを求め、生死の苦海からの離脱を求めようとしない、、、
己れの本性が迷えば福は有得ない。今汝等各々己れの智恵を観
本心般若の性を一句づつ偈に表現して示せよ。
吾れ看て其の意に悟る所あらば第六代の後嗣とならん」
弟子達の行深を試した。
所が誰も答え得る人はない、時に上座で教授師を勤める神秀のみ
夜中に起きて壁に一偈を書いた。その偈:
身是菩提樹(身は是れ菩提樹)
心如明鏡台(心は明るい鏡台の如し)
時時常払拭(時時に勤めて拭き払い)
勿使惹塵埃(塵埃をして惹からしむる勿れ)
肉体を菩提樹にたとえ、心を明鏡台に喩え
二六時中掃除すれば世の穢から染まることはないと云う
意味だが弘忍五祖未だ満足を得られず、真如の本性を
を未だ観るに至らないことを指謫した。
ところが入門わずか八箇月の無学者で何時も田舎者と言われ
慧能祖がこの意味を聞き、即座に口で以て答えた。
その偈:
菩提本無樹(菩提本来は樹なし)
明鏡亦非台(明鏡も亦台にあらず)
本来無一物(本来無一物なるに)
何処惹塵埃(何処にて塵埃に惹かれるや)
頓悟の法は大智恵、大器の人でないと得られない、、
神秀がは客体的、台とか樹とか有相に自己を結ばせている
慧能祖はそれ以上に深く自らを主体にして無想、無念、無住
の無一物境界に至っている。五祖これを聞き、大いに喜び密かに
不二の法を伝え祖脈を慧能祖に授ける。
慧能祖の代、時運に応じ、天命によって佛教から離れ儒家に戻る。
その偈に:
釋迦従我絶宗風(釈迦我れより宗風を絶つ)
儒家得我正法通(儒家我を得万法に通ず)
三期末後収圓事(日後三期に普伝が開かれ)
正心誠意合中庸(正心誠意、中庸に合す)
と言いました。
このように、禅の修習はすべて各自の直接の軽験と、体得に依る。
「不立文字」とは文字に執らわれて、佛法の悟得を忘れるのを戒、
「教外別伝」とは悟りは経典だけでは伝承されないことを言う。
更に「西来意」とは真の佛法・佛法中心即ち悟り自体は、伝承できない
ことを言う。祖師法脈にもこだわるな、と戒めている。
師よし弟子へ「師師相伝」「以心伝心」する手法を中国からの祖師禅
という。日本は、中国禅を入移してから、次第に新生命を開き、独自
の禅風を築いた。
●創造の妙
宇宙の存在の真理は六合に満々ており創造の妙は絶大無窮である。
後項の創造の妙理で少し述べます:
天に在りては天の理となり、地に在りては地理となり、物に在りて物理となり
人間に在りては性理(霊魂)となります。
この宇宙の真理が聖賢聖仏の間に伝えられて聖道と謂う。
すなわち、天地人三才から万事・万物に至る迄みなこの理の存在があり
これにより始まてなるものである。
天に天の理がなければ成立できず、日月・星辰・且つ四季の運行は経緯節度が
なくなり乱行することになる。地には地理がなければ水土混迷して固まらず山川
草木 は生育できず、木・火・土・金・水は整わないです。
人間に霊魂の性理がなければ知能もなく活動もできず生活はできない、、。
物質に物理があり、物事に道理があることは衆知の通りである。
理は道であり、天であり、無であり、空であり、妙である。
老子様は「道の道とすできは常の道非ず、名の名とすべきは常の名に非ず」
つまり、この道は正常の道とし絶体神密にして人為的に歪曲した道ではないと
言う のであります。
此れ即ち道である。孔子様は「道なるものは片時も離れるべからざるなり」
と云うのもあります。
五教経典聖書にはともに道の闡明せられてはいるが本当の真諦は玄妙の機、
故に 述べられておらない。その創造の妙は唯、聖人仙佛の間だけ口を以って
伝え所謂 「教外別伝・以心伝心」で恭しく受け継がれていた、、、。
~参考資料は「昭和五十四版道の講釋」~
禅は単なる外形的なものでなく要は単伝直指の道を求めるにある。
禅とは、佛教の根本である、佛道修行の基本である。
禅宗はインドの「達摩」様によって中国に伝来し、特異な発達をして、多くの名
僧を輩出し「五家七宗」へ発達した。
禅宗の特徴は概ね、「直指人心・見性成佛」「即心即佛」「非心非佛」
故に「自分の本性、即ち、本来の心、佛の心」と観る。
達摩大師の面壁九年の禅行は尚も磨きを掛け、純熟の道を後世に挙揚せと
するが為にある。
神光様、道号を慧可様を称し道を僧璨様に伝え、僧璨様から道信様、
道信様 から弘忍様、弘忍様から慧能様に伝わる。
慧能六代祖は文字を知らぬが智恵は本も聡明であった。
弘忍五祖が或る日弟子門人を集め~
「世人生死の事程重大なるはない、汝等の終日を見るに只目
前と来世の福だけを求め、生死の苦海からの離脱を求めようとしない、、、
己れの本性が迷えば福は有得ない。今汝等各々己れの智恵を観
本心般若の性を一句づつ偈に表現して示せよ。
吾れ看て其の意に悟る所あらば第六代の後嗣とならん」
弟子達の行深を試した。
所が誰も答え得る人はない、時に上座で教授師を勤める神秀のみ
夜中に起きて壁に一偈を書いた。その偈:
身是菩提樹(身は是れ菩提樹)
心如明鏡台(心は明るい鏡台の如し)
時時常払拭(時時に勤めて拭き払い)
勿使惹塵埃(塵埃をして惹からしむる勿れ)
肉体を菩提樹にたとえ、心を明鏡台に喩え
二六時中掃除すれば世の穢から染まることはないと云う
意味だが弘忍五祖未だ満足を得られず、真如の本性を
を未だ観るに至らないことを指謫した。
ところが入門わずか八箇月の無学者で何時も田舎者と言われ
慧能祖がこの意味を聞き、即座に口で以て答えた。
その偈:
菩提本無樹(菩提本来は樹なし)
明鏡亦非台(明鏡も亦台にあらず)
本来無一物(本来無一物なるに)
何処惹塵埃(何処にて塵埃に惹かれるや)
頓悟の法は大智恵、大器の人でないと得られない、、
神秀がは客体的、台とか樹とか有相に自己を結ばせている
慧能祖はそれ以上に深く自らを主体にして無想、無念、無住
の無一物境界に至っている。五祖これを聞き、大いに喜び密かに
不二の法を伝え祖脈を慧能祖に授ける。
慧能祖の代、時運に応じ、天命によって佛教から離れ儒家に戻る。
その偈に:
釋迦従我絶宗風(釈迦我れより宗風を絶つ)
儒家得我正法通(儒家我を得万法に通ず)
三期末後収圓事(日後三期に普伝が開かれ)
正心誠意合中庸(正心誠意、中庸に合す)
と言いました。
このように、禅の修習はすべて各自の直接の軽験と、体得に依る。
「不立文字」とは文字に執らわれて、佛法の悟得を忘れるのを戒、
「教外別伝」とは悟りは経典だけでは伝承されないことを言う。
更に「西来意」とは真の佛法・佛法中心即ち悟り自体は、伝承できない
ことを言う。祖師法脈にもこだわるな、と戒めている。
師よし弟子へ「師師相伝」「以心伝心」する手法を中国からの祖師禅
という。日本は、中国禅を入移してから、次第に新生命を開き、独自
の禅風を築いた。
●創造の妙
宇宙の存在の真理は六合に満々ており創造の妙は絶大無窮である。
後項の創造の妙理で少し述べます:
天に在りては天の理となり、地に在りては地理となり、物に在りて物理となり
人間に在りては性理(霊魂)となります。
この宇宙の真理が聖賢聖仏の間に伝えられて聖道と謂う。
すなわち、天地人三才から万事・万物に至る迄みなこの理の存在があり
これにより始まてなるものである。
天に天の理がなければ成立できず、日月・星辰・且つ四季の運行は経緯節度が
なくなり乱行することになる。地には地理がなければ水土混迷して固まらず山川
草木 は生育できず、木・火・土・金・水は整わないです。
人間に霊魂の性理がなければ知能もなく活動もできず生活はできない、、。
物質に物理があり、物事に道理があることは衆知の通りである。
理は道であり、天であり、無であり、空であり、妙である。
老子様は「道の道とすできは常の道非ず、名の名とすべきは常の名に非ず」
つまり、この道は正常の道とし絶体神密にして人為的に歪曲した道ではないと
言う のであります。
此れ即ち道である。孔子様は「道なるものは片時も離れるべからざるなり」
と云うのもあります。
五教経典聖書にはともに道の闡明せられてはいるが本当の真諦は玄妙の機、
故に 述べられておらない。その創造の妙は唯、聖人仙佛の間だけ口を以って
伝え所謂 「教外別伝・以心伝心」で恭しく受け継がれていた、、、。
~参考資料は「昭和五十四版道の講釋」~
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