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禅について

古来佛宗は同じく単伝直指の旨だが後信はそれを知らず禅宗と呼んでいる。
禅は単なる外形的なものでなく要は単伝直指の道を求めるにある。
禅とは、佛教の根本である、佛道修行の基本である。
禅宗はインドの「達摩」様によって中国に伝来し、特異な発達をして、多くの名
僧を輩出し「五家七宗」へ発達した。
禅宗の特徴は概ね、「直指人心・見性成佛」「即心即佛」「非心非佛」
故に「自分の本性、即ち、本来の心、佛の心」と観る。
達摩大師の面壁九年の禅行は尚も磨きを掛け、純熟の道を後世に挙揚せと
するが為にある。
神光様、道号を慧可様を称し道を僧璨様に伝え、僧璨様から道信様、
道信様 から弘忍様、弘忍様から慧能様に伝わる。
慧能六代祖は文字を知らぬが智恵は本も聡明であった。
弘忍五祖が或る日弟子門人を集め~
「世人生死の事程重大なるはない、汝等の終日を見るに只目
前と来世の福だけを求め、生死の苦海からの離脱を求めようとしない、、、
己れの本性が迷えば福は有得ない。今汝等各々己れの智恵を観
本心般若の性を一句づつ偈に表現して示せよ。
吾れ看て其の意に悟る所あらば第六代の後嗣とならん」
弟子達の行深を試した。
所が誰も答え得る人はない、時に上座で教授師を勤める神秀のみ
夜中に起きて壁に一偈を書いた。その偈:
身是菩提樹(身は是れ菩提樹)
心如明鏡台(心は明るい鏡台の如し)
時時常払拭(時時に勤めて拭き払い)
勿使惹塵埃(塵埃をして惹からしむる勿れ)
肉体を菩提樹にたとえ、心を明鏡台に喩え
二六時中掃除すれば世の穢から染まることはないと云う
意味だが弘忍五祖未だ満足を得られず、真如の本性を
を未だ観るに至らないことを指謫した。
ところが入門わずか八箇月の無学者で何時も田舎者と言われ
慧能祖がこの意味を聞き、即座に口で以て答えた。
その偈:
菩提本無樹(菩提本来は樹なし)
明鏡亦非台(明鏡も亦台にあらず)
本来無一物(本来無一物なるに)
何処惹塵埃(何処にて塵埃に惹かれるや)

頓悟の法は大智恵、大器の人でないと得られない、、
神秀がは客体的、台とか樹とか有相に自己を結ばせている
慧能祖はそれ以上に深く自らを主体にして無想、無念、無住
の無一物境界に至っている。五祖これを聞き、大いに喜び密かに
不二の法を伝え祖脈を慧能祖に授ける。
慧能祖の代、時運に応じ、天命によって佛教から離れ儒家に戻る。
その偈に:
釋迦従我絶宗風(釈迦我れより宗風を絶つ)
儒家得我正法通(儒家我を得万法に通ず)
三期末後収圓事(日後三期に普伝が開かれ)
正心誠意合中庸(正心誠意、中庸に合す)
と言いました。
このように、禅の修習はすべて各自の直接の軽験と、体得に依る。
「不立文字」とは文字に執らわれて、佛法の悟得を忘れるのを戒、
「教外別伝」とは悟りは経典だけでは伝承されないことを言う。
更に「西来意」とは真の佛法・佛法中心即ち悟り自体は、伝承できない
ことを言う。祖師法脈にもこだわるな、と戒めている。
師よし弟子へ「師師相伝」「以心伝心」する手法を中国からの祖師禅
という。日本は、中国禅を入移してから、次第に新生命を開き、独自
の禅風を築いた。


●創造の妙
宇宙の存在の真理は六合に満々ており創造の妙は絶大無窮である。
後項の創造の妙理で少し述べます:
天に在りては天の理となり、地に在りては地理となり、物に在りて物理となり
人間に在りては性理(霊魂)となります。
この宇宙の真理が聖賢聖仏の間に伝えられて聖道と謂う。
すなわち、天地人三才から万事・万物に至る迄みなこの理の存在があり
これにより始まてなるものである。
天に天の理がなければ成立できず、日月・星辰・且つ四季の運行は経緯節度が
なくなり乱行することになる。地には地理がなければ水土混迷して固まらず山川
草木 は生育できず、木・火・土・金・水は整わないです。
人間に霊魂の性理がなければ知能もなく活動もできず生活はできない、、。
物質に物理があり、物事に道理があることは衆知の通りである。
理は道であり、天であり、無であり、空であり、妙である。
老子様は「道の道とすできは常の道非ず、名の名とすべきは常の名に非ず」
つまり、この道は正常の道とし絶体神密にして人為的に歪曲した道ではないと
言う のであります。
此れ即ち道である。孔子様は「道なるものは片時も離れるべからざるなり」
と云うのもあります。
五教経典聖書にはともに道の闡明せられてはいるが本当の真諦は玄妙の機、
故に 述べられておらない。その創造の妙は唯、聖人仙佛の間だけ口を以って
伝え所謂 「教外別伝・以心伝心」で恭しく受け継がれていた、、、。

~参考資料は「昭和五十四版道の講釋」~

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